挑戦は不可能を可能にする

挑戦は不可能を可能にする(20)

TT君については、「夢に向かって挑戦の日々」というタイトルで以前紹介しました。その彼が、ついに第一希望である創価高校に合格したのです。

試験の終了後、彼から連絡を受け、「英語は、リスニング以外、全てできた。数学は、小問で
2問間違えた以外は、全てできた。国語は、古典がパーフェクトで、評論1題、小説1題ミスした」との報告を受けたのです。試験において、自分の間違った箇所を明確に話すことができる受験生は、必ず合格しています。私は、そのことを知っていたので、報告を聞いた瞬間、合格を確信しました。

彼は、最後の模試で英語偏差値
82、数学偏差値78、国語偏差値74をたたき出していたのです。そして、何よりも大切なことは、創価高校の20年間分の問題をはじからはじまで丹念に分析して、傾向を完全に把握していたので、まったく彼の受験に関しては、不安を持っていませんでした。ご両親には、試験の1ヶ月前に、「合格は間違いありません」とお話させていただきました。

試験の
2週間前から、創価高校の過去問を分析して作成した試験問題を本番より10分短い時間で、解かしていたことも大きな要因だと思います。今年は、伸一塾から2人の高校生を合格させたわけですが、志望校別合格プログラムが、いかに効果を発揮するか、改めて確信しました。約6ヶ月で25の偏差値を伸ばすことに成功しました。

高校受験において、たくさんの悩みや困難があると思います。しかし、決して逃げないでください。一つ一つ、困難な壁を打ち破ってください。必ず、夢は実現できます。このブログを見て、自分にはできるかどうか不安な人は、ぜひ、伸一塾の受験相談を利用してください。必ず突破口が開けます。
伸一塾 高校・大学受験

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挑戦は不可能を可能にする(19)

私が、STくんに最初に会ったのは、昨年(平成20年)75日、受験相談に訪ねてきた時です。STくんは、千葉に住んでおり、第一志望は、渋谷教育学園幕張高等学校、第二志望は、市川高等学校でした。彼の実力からみて、相当努力しても合格することは不可能と思われました。

しかし、私はかつて、わずか
10ヶ月で偏差値39から偏差値82まで、アップさせたことがあります。残り6.5ヶ月で53の偏差値を75に持っていく戦いを決意し、彼と一緒に猛烈な戦いを開始したのです。

最初に、渋谷教育学園幕張高等学校の過去問10年間分を分析し、何をどれだけやればいいかを完璧に調べ上げました。英語においては、英単語1848、英熟語372、英語構文112、ワード数300から385ワードの英語長文読解を25分でとける能力を身につけるプログラムを実践させました。

このように、国語と数学においても、何をやれば合格できるかを徹底的に分析し、
6.5ヶ月で達成させるプログラムが開始されました。最初の3ヶ月は、成績が伸び悩み困難の連続でしたが、3ヶ月を過ぎる頃から一気に偏差値がアップしてきたのです。毎日勉強した範囲を、翌日確認テストを行う勉強法を実践し、その課程で間違った箇所を自己改善ノートにつけながら、一歩一歩進んで行ったのです。実に3ヶ月で数学3冊、英語2冊、国語1冊の自己改善ノートが出来上がっていました。彼は、これを完全に、自分のものにしていったのです。

こうして、
12月の最終模試において、英語の偏差値が82、国語の偏差値が76、数学の偏差値が72まで成長したのです。私は、完全に彼の合格を確信し、試験の1ヶ月前に、ご両親に「合格は間違いありません」と話したのです。こうして、受験を迎え、渋谷教育学園幕張高等学校、市川高等学校、日本大学習志野高等学校に合格しました。私は、65ヶ月の受験生活を通じ、甘えを許さない、徹頭徹尾自分に勝つことを教えたのです。私が彼に、言い続けた合格するという言葉は現実となったのです。まさに、「まさか」が実現したのです。

このブログをみている皆さんも、決してあきらめないで下さい。夢は実現するのです。人間は、実現しないことは思わないのです。思うことは、必ず実現します。どうか、決してあきらめないでください。困ったことがあったら、ぜひ電話をください。私は、毎週土曜日、無料受験相談を行っています。どうぞ、訪ねてきてください。伸一塾 高校・大学受験

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挑戦は不可能を可能にする(18)

炎のチャレンジャーESさん

私が、ESさんに最初に会ったのは、ESさんが高校2年になる直前の2月の終わりでした。彼女は、将来フランス語を活かして、社会に貢献する仕事に就きたいとのことでした。彼女の通っていた高校は、完全なる進学校でしたので、私の所に来たとき既に、受験に対する覚悟はできていました。彼女と話し合った結果、私大は、上智大学外国語学部フランス語学科、国立は、東京外国語大学欧米第二課程フランス語専攻を受験することに決定しました。

2年間、超ど根性クラスに入塾し、炎のごとく全力で走りぬけ、完全合格を果たすことができたのです。超ど根性クラスは、週6日制で、平日は5時から9時まで、土日、休日は朝9時から夜9時までという根性を要するクラスです。しかし、ESさんは更にすごい根性を見せ、「家で勉強するよりも、塾で勉強をした方が、集中できて効率が良いので、休みの日も来させてください!」と週7日、土日、休日は朝7時半から塾に通って来ました。

来る日も来る日も、勝利から逆算した志望校合格のスケジュールをこなしていきました。本気になったことのすごさを感じたのは、塾生のほとんどが風邪をひいた時も、彼女は1日で治してしまうのです。風邪の菌さえも、焼滅させるほどのエネルギーで、勉強をやり続けました。こうして、110ヶ月経った時の12月の最終模試では、偏差値70 (偏差値77)をはるかに超えていたのです。何度も何度も、挫折しそうになった時、合格した時の喜びを話して、激励をしました。その激励を素直に受け止め、見事全ての受験校に合格したのです。

今、彼女は、喜びと希望と情熱を持って、東京外国語大学欧米第二課程フランス語専攻に通っています。先日、ご両親が塾を訪ねてきて、この
2年間でESさんは、あきらめることがなくなったと話していました。受験に合格しただけでなく、人生における大変すばらしい経験をしたと喜んでおられました。受験を通じて、人生の土台を築くことができるのです。

受験生の皆さん、あきらめることなく全力で、志望校合格を目指して頑張ってください。


将来は「今」の積み重ね。悩みながらも一生懸命に 頑張れ!!受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(17)

MNくんは、高校3年生の4月に、ブログに登場したHTくんの紹介で、伸一塾にやってきました。MNくんは、すでに志望大学が決まっており、一橋大学商学部が志望校だったのです。しかし、MNくんの偏差値は40に満たないものでした。私は、本気になって勉強しても合格のためには、最低2年6ヶ月は必要であることを話ました。すなわち、2浪を覚悟しなければ合格できないということです。そのような状況を話したにもかかわらず、それでも一橋大学商学部を受験すると言い張りました。MNくんのご両親とも話し合い、MNくんの希望を実現させるべく戦いを開始することになったのです。

彼は、本当によく勉強をしました。英語、数学、国語は、中学レベルから出発しました。10ヵ月後、MNくんは、専修大学商学部会計学科と日本大学商学部会計学科に合格しました。もちろん、入学はしません。浪人に突入しました。浪人時にMNくんは、1日17時間の勉強を決行し、翌年の2月には、早稲田大学商学部、中央大学商学部会計学科に合格しました。MNくんは、それでも、一橋大学商学部をあきらめずに、勉強を続けたのです。

そしてついに翌年、一橋大学商学部に合格しました。この3年間、英語の長文は、800英文をこなし、数学の問題は、3900問を超え、現代文は、360問を超え、古文の総合問題は、250問を超えていました。また、「詳説日本史B」と「新ひとりで学べる倫理」と「基礎からよくわかる生物ⅠB」をスイッチフルバック方式により、丸ごと一冊暗記してしまいました。彼との3年間の勉強は、努力、努力の連続でしたが、あきらめなければ、夢は実現するということをMNくんに、教えてもらいました。私が教えてきた5300名の生徒の中でも3本指の中に入る努力の人です。こうしてMNくんは、2浪はしましたが、見事一橋大学商学部に合格できたわけです。

困難こそ成長のチャンス!負けじ魂で勝利を勝ち取れ! 頑張れ
!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(16)

徹底した志望校別受験対策の勝利

私が、YMさんと初めて出会ったのは平成18年5月でした。(2008年度受験生)
彼女は、日本女子大学食物学科管理栄養士専攻が第一志望だと言ってきたのです。私は、受験まで1年10ヶ月あることを考慮し、お茶の水女子大学生活科学部食物栄養学科を第一志望とすることを勧めました。こうして、YMさんと私のお茶の水女子大学生活科学部食物栄養学科1年10ヶ月合格作戦の戦いが始まったのです。

最初の頃、YMさんはすぐにお腹が痛くなるのです。勉強に対する姿勢ができていなかったため、勉強に立ち向かうとお腹が痛くなってしまうのです。そして、中学3年生の生徒と同じ内容の英語のテストをする度に、負けるような情況でした。しかし、YMさんは、ESさんのたゆまない激励により、少しずつ受験人間へと変身していったのです。

YMさんは、本年度のセンター試験英語で、192点をはじきだしました(本年度、伸一塾渋谷校は、大学受験生が3名でしたが、英語の3人の点数は192点、190点、186点でした)。中学生にも負けていたYMさんが、センター試験英語で、1年9ヵ月後このような結果を出すことができたのは、最も効率のよい勉強法をとったからです。

私は、お茶の水女子大学生活科学部食物栄養学科合格のための戦略として、センター試験で、85%はじきだし、2次で80%はじきだすことを決めていました。実際は、センター試験で89%をはじきだしたのです。こうしてYMさんは、センター試験を終了した後、大変有利な位置に立っていたのです。

しかし、2次では、もっと有利な立場であることを実感していました。それは、お茶の水女子大学の20年間分の問題を徹底的に分析し、英語、数学、生物の癖を完全に見抜くことができていたからです。英語について言えば、20年間の長文の分析をおこなったところ、必ず出題されるであろう43の癖(出題されるパターン)をみつけだすことができました。また、英作文においても、対比型の問題が出ることが予想されていたため、徹底的に訓練をおこないました。

また、数学では英語以上に癖があり、本番では、小問の1題をのぞき、全問的中させました。生物では、最も出題される範囲が偏っていたため、小問の1題を除いて、これも全問的中させました。こうしてYMさんは、お茶の水女子大生活科学部食物栄養学科に見事合格したのです。

志望校別対策を行なうことは、本来行なう勉強の3分の1程度の勉強で他を追従させないような点数を獲得することができるのです。私は、常々生徒に言っています。努力することさえできれば、受験は戦略が全てだ。このブログを見て、本当に行きたい大学がある受験生は、ぜひ本物の戦略をわたしと一緒にしてみませんか?受験生のみなさんと勉強できることを楽しみにしています。

★★受験生のために尽くす――その生き方こそが、受験生の心に鮮やかに投影され、無言のうちに勝利の種を植えていく。それが、伸一塾の信念です。
伸一塾 高校・大学受験

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挑戦は不可能を可能にする(15)

HTくんと初めてあったのは、彼が、高校2年生の4月の時でした。

彼は、中学1年生の時に交通事故に遭い、約一年間、入院生活を余儀なくされました。また、利き手の右腕の神経を切断したことにより、右腕が完全に動かなくなってしまったのです。彼にとって、右腕が不自由になったことは、想像を絶するような大変なショックだったと思います。右利きであった彼は、それ以後、左手で字を書く練習を、毎日毎日、続けたのです。今まで当たり前のように右手を使い行なっていた日常の動作を、左手で行なう生活は、とても大変な作業だったと思います。退院後は、一つ年下の下級生と一緒に、勉強をしたそうです。

私と出会った時には、左手で字を書けるようになっていましたが、時間がかかり、お世辞にもきれいなものとは言えませんでした。

そんな彼と、真剣に対話を重ね、志望校を早稲田大学に決定しました。これまで、彼が考えていた受験勉強に関する常識のウソを指摘し、早稲田大学突破を目的とした最短コースの勉強法を提示しました。社会は、最もボリュームの少ない、政治・経済を選択しました。こうして、HTくんと私との22ヶ月の戦いが開始されたのです。

彼は、今まで自分に起きた不運を転換してみせるとの意気込みで勉強に打ち込みました。その気迫は、教室の他の生徒にも伝わる激しさがありました。彼は、来る日も来る日も、一切妥協することなくスケジュールをこなしていったのです。

伸一塾に来て、一年半も過ぎた頃、彼の偏差値は、英語72、政治・経済74、国語68という、すばらしい結果を達成していたのです。こうして彼は、早稲田大学 政治経済学部経済学科・法学部・商学部に見事合格しました。彼は、完全に事故のショックから立ち直り、見事志望校に合格しました。

ここまで到達するために、筆舌に尽くしがたい困難を乗り越え、努力をしてきたのです。彼の英語の辞書には、
impossiblegive upを黒のマジックで消してあります。彼は常に、不可能とあきらめは、自分にはないということを言い聞かせていたのです。

人生には暴風雨があり、暗い夜もある。

それを超えれば、苦しみの深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るものである。

一番、努力した人が、一番、晴れやかに輝く人である。

運命を価値に転換してほしい。その人が人間としての勝利者である。

頑張れ!! 受験生!! 

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挑戦jは不可能を可能にする(14)

今日は、YHさんのお話をします。
彼女と最初に会ったのは、私の叔母が病院に入院していた時のことです。たまたま、彼女のお母さんが同じ病室にいたのをきっかけに、知り合いとなり、伸一塾に来ることになりました。彼女は、名門高校に通っていましたが、勉強についていけず、いわゆる、落ちこぼれ生徒で、「大学は、入れる所ならどこでもいい」という状態でしたが、妹のHHさんが塾に来ると言い出したのをきっかけに、一緒に入塾することになったのです。

彼女の希望を聞くと、大学で英語を勉強したいということでした。受験まで、19ヶ月で挑戦できる大学を検討し、青山学院大学文学部英米文学科を目指すことになりました。彼女の家は、塾から一駅だったので、平日は、夕方
5時から10時半まで勉強し、休日は、朝9時から夜10時半までの猛烈な勉強を開始しました。2才年下の妹(中学3年生)と英語は同じレベルから勉強を始めたことが、幸いしました。勉強から逃れようとしても、同じ範囲の勉強をしているため、怠ける事も、逃げることもできず、妹と必死の競争が始まったのです。

こうして、二人の姉妹の受験勉強が開始されました。姉のYHさんは、夜に強く、朝に弱い体質でした。一方、妹のHHさんは、朝に強く、夜に弱い体質でした。お互いの弱点を二人で協力することにより、見事に乗り越え、数ヶ月後には、超受験人間に変身していました。来る日も、来る日も、二人のスクラムとなったチームワークで、合格から逆算したスケジュールをやりきっていったのです。

19ヶ月が過ぎ去った時、彼女は栄冠を勝ち取っていました。そうです、青山学院大学文学部英米文学科に合格したのです。この二年後、妹のHHさんは、横浜国立大学教育人間科学部に合格しました。 まさに、姉妹の力で合格を勝ち取ったといえます。友達であれ、姉妹であれ、ライバルは、とても大切だという証明です。このブログをご覧になっている皆さんも、良きライバルを作ってください。


「自分なんかもう駄目だ」と思うような瀬戸際のときはだれにもある。じつは、そのときこそが、自身の新しい可能性を開くチャンスである。人生の勝利と敗北、幸福と不幸、その分かれ目が、ここにある。自分という人間を決めるのは、だれか。自分である。自分という人間をつくるのは、だれか。これも結局は自分以外にいない。
頑張れ!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(13)

今日は、自転車少女、MYさんのお話をします。
彼女と最初に会ったのは、彼女が高校3年生になったばかりの4月でした。彼女が通っていた女子高は、全体的に大学進学に対して、あまり熱心でなかったため、まったく受験の準備はしていませんでした。将来の希望を聞いたところ、バイオテクノロジー勉強をしたいとのことでした。そこで、大学を検討し、その結果、東京農業大学・応用生物科学部・バイオサイエンス学科を受験することに決めました。

早速、過去問15年分を集め、最短距離の勉強スケジュールをたてました。彼女の家は、喜多見にあり、そこから毎日、自転車で私の塾まで、片道50分かけて通ってきたため、塾のみんなから自転車少女Mちゃんと呼ばれていました。

英語は、中学
2年生の過去形から開始し、国語は、中学受験用の教材から開始しました。そんな彼女も生物だけは、いきなり高校のテキストを使ったため、「生物だけは一人前だ!」と喜んでいたのを、今でもよく覚えています。生物のテキストは、「生物ⅠB必修整理ノート」を使用しました。こうして、一日一日真剣な勉強が続いていったのです。彼女にとって、自転車での通塾することが勉強でたまったストレスのよい発散方法だったのです。

夏休みが終了する頃、自転車少女MYさんは、超受験人間に大変身していました。学校で必要でないと思った時間には、よく保健室に行って勉強したことを聞きました。また、体育の時間などは、よく見学をしたそうです。見学している間、必死で暗記していたそうです。ありとあらゆる時間、勉強をしつづけた結果、12月の最後の模試で、ついに偏差値60を突破しました。12月20日頃より、毎朝8時に塾に来て、夜9時まで、しっかり勉強し、試験の前々日までスケジュールを一つ一つ潰していったのです。今まで、受験日記に登場した人たちもそうですが、一つの目標に向かって一生懸命勉強している集団に属すると、1日12時間以上の勉強も、あっという間に、終えることができます。いい集団に属するといい結果が出るのです。こうして、彼女は無事、第一志望であった東京農業大学に合格したのです。彼女は、大学まで自転車で通学しています。大学に入っても自転車少女MYさんは健在です。

    大変なときに、変わらずに頑張れば、あなたは勝利者です。状況が厳しかろうが、人が変わろうが、自分は自分の決めた道を貫く。その人が「人間として」の王者です。頑張れ!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(12)

今日は、前回登場したEFさんについて、お話します。EFさんは、YHさんより遅れること1ヶ月あまりで伸一塾にやって来ました。

彼女は、母子家庭であり、大変経済的に厳しい状況の中、塾に通って来ていました。塾の月謝を工面するため、おじいちゃんが牛乳配達をしていたのです。彼女は、大学に入学し、将来、公務員になりたい希望を持っていました。自分に厳しく、自己管理の上手な子で、毎回おこなわれるミニテストにおいては、全部満点でした。毎月行なわれる月例試験でも、9割を切ったことは一度もありませんでした。彼女は、目的が明確であったことが、一日一日の勉強に対して全力でぶつかることができたのではないかと思います。

また、彼女は、感謝のこころを持つ人でした。友人のYHさんが挫折しそうになった時、いつも一生懸命、激励し、「今こうして、勉強できるのもYHさんのおかげだ」と言っていました。彼女は、太陽の光のように、いつもYHさんに光を送っていたのです。私は、人間同士のまごころで結び合った間柄を見させてもらいました。人生においてもっとも美しく、強く、尊いもの。それが友情であることを実感したのです。勉強を教えている私の方が、彼女から教わることがはるかに多かったと思います。

彼女は、早稲田大学法学部合格後もアルバイトをしながら、専門学校で公務員試験合格のための勉強を続け、国家Ⅰ種に見事合格しました。全力で受験勉強にぶつかっていく、その真摯な行動が勝利へと導いたのです。


青春は悩みの連続である。
もがきながら暗雲をかきわけ太陽に向かっていくのです。
頑張れ
!!受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(11)

YHさんは、ブログに紹介したMHくんのお姉さんです。彼女は、高校の担任の紹介で、伸一塾に来ました。彼女は、学校での成績がとても悪かったので、推薦での進学はできない状態でした。
しかし、そのことが彼女に人生を大きく変えるきっかけとなったのです。幸いにも受験まで22ヶ月あったので、私大でも最難関である早稲田大学を受験することを決めました。

彼女の英語の実力は、中学2年生程度(英検4級合格)の力しかなかったため、中学の英語をはじめからていねいに勉強をしていきました。勉強という習慣が、まったくついていなかったため、一つのレッスンを終了させるのに、何日もかかるという状態でした。そんな時、彼女は学校の友人のEFさんを連れてきたのです。EFさんは、稀にみる努力の人だったのです。EFさんの努力の姿を目の当たりにしたYHさんは、少しずつ受験人間へと変身していきました。

しかし、受験勉強の厳しさから、YHさんは何度も挫折しそうになりました。この時、EFさんは、学校からYHさんの手をひっぱり、しばしば塾まで連れて来ていました。EFさんは、自分に厳しく、他人に優しい人でした。EFさんの絶え間ない激励のおかげで、YHさんは頑張ることができました。苦労を一緒に乗り越えようとする友の温かさを知り、いい友人が一人いれば、人生の喜びは
2倍にも3倍にもなるということをYHさんは、学んだのです。私も、友情は喜びを2倍にも3倍にもし、苦しみや悲しみを2分の1にも、3分の1にもするということを学びました。本当に自分自身が勉強になった22ヶ月でした。

来る日も来る日も、真剣勝負の毎日が続き、3年生の夏を過ぎた頃には、YHさんは、英語の偏差値67、国語の偏差値64、日本史の偏差値76となっていたのです。早稲田大学合格に、あともう一歩の所まで来ていました。

一方、EFさんは、英語の偏差値74、国語の偏差値69、日本史の偏差値73となっており、完全に合格の圏内に入っていました。

こうして受験を迎え、YHさんは早稲田大学商学部に合格し、EFさんは早稲田大学法学部に合格しました。EFさんは、入学後も勉強を続け、国家公務員試験Ⅰ種に見事に合格しました。

目の前が真っ暗になるときもあるでしょう。

しかし、あきらめないで努力しぬいていけば、

どんな困難もみな夢となります。

頑張れ!!受験生!!

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