挑戦は不可能を可能にする

挑戦は不可能を可能にする(20)

TT君については、「夢に向かって挑戦の日々」というタイトルで以前紹介しました。その彼が、ついに第一希望である創価高校に合格したのです。

試験の終了後、彼から連絡を受け、「英語は、リスニング以外、全てできた。数学は、小問で
2問間違えた以外は、全てできた。国語は、古典がパーフェクトで、評論1題、小説1題ミスした」との報告を受けたのです。試験において、自分の間違った箇所を明確に話すことができる受験生は、必ず合格しています。私は、そのことを知っていたので、報告を聞いた瞬間、合格を確信しました。

彼は、最後の模試で英語偏差値
82、数学偏差値78、国語偏差値74をたたき出していたのです。そして、何よりも大切なことは、創価高校の20年間分の問題をはじからはじまで丹念に分析して、傾向を完全に把握していたので、まったく彼の受験に関しては、不安を持っていませんでした。ご両親には、試験の1ヶ月前に、「合格は間違いありません」とお話させていただきました。

試験の
2週間前から、創価高校の過去問を分析して作成した試験問題を本番より10分短い時間で、解かしていたことも大きな要因だと思います。今年は、伸一塾から2人の高校生を合格させたわけですが、志望校別合格プログラムが、いかに効果を発揮するか、改めて確信しました。約6ヶ月で25の偏差値を伸ばすことに成功しました。

高校受験において、たくさんの悩みや困難があると思います。しかし、決して逃げないでください。一つ一つ、困難な壁を打ち破ってください。必ず、夢は実現できます。このブログを見て、自分にはできるかどうか不安な人は、ぜひ、伸一塾の受験相談を利用してください。必ず突破口が開けます。
伸一塾 高校・大学受験

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挑戦は不可能を可能にする(19)

私が、STくんに最初に会ったのは、昨年(平成20年)75日、受験相談に訪ねてきた時です。STくんは、千葉に住んでおり、第一志望は、渋谷教育学園幕張高等学校、第二志望は、市川高等学校でした。彼の実力からみて、相当努力しても合格することは不可能と思われました。

しかし、私はかつて、わずか
10ヶ月で偏差値39から偏差値82まで、アップさせたことがあります。残り6.5ヶ月で53の偏差値を75に持っていく戦いを決意し、彼と一緒に猛烈な戦いを開始したのです。

最初に、渋谷教育学園幕張高等学校の過去問10年間分を分析し、何をどれだけやればいいかを完璧に調べ上げました。英語においては、英単語1848、英熟語372、英語構文112、ワード数300から385ワードの英語長文読解を25分でとける能力を身につけるプログラムを実践させました。

このように、国語と数学においても、何をやれば合格できるかを徹底的に分析し、
6.5ヶ月で達成させるプログラムが開始されました。最初の3ヶ月は、成績が伸び悩み困難の連続でしたが、3ヶ月を過ぎる頃から一気に偏差値がアップしてきたのです。毎日勉強した範囲を、翌日確認テストを行う勉強法を実践し、その課程で間違った箇所を自己改善ノートにつけながら、一歩一歩進んで行ったのです。実に3ヶ月で数学3冊、英語2冊、国語1冊の自己改善ノートが出来上がっていました。彼は、これを完全に、自分のものにしていったのです。

こうして、
12月の最終模試において、英語の偏差値が82、国語の偏差値が76、数学の偏差値が72まで成長したのです。私は、完全に彼の合格を確信し、試験の1ヶ月前に、ご両親に「合格は間違いありません」と話したのです。こうして、受験を迎え、渋谷教育学園幕張高等学校、市川高等学校、日本大学習志野高等学校に合格しました。私は、65ヶ月の受験生活を通じ、甘えを許さない、徹頭徹尾自分に勝つことを教えたのです。私が彼に、言い続けた合格するという言葉は現実となったのです。まさに、「まさか」が実現したのです。

このブログをみている皆さんも、決してあきらめないで下さい。夢は実現するのです。人間は、実現しないことは思わないのです。思うことは、必ず実現します。どうか、決してあきらめないでください。困ったことがあったら、ぜひ電話をください。私は、毎週土曜日、無料受験相談を行っています。どうぞ、訪ねてきてください。伸一塾 高校・大学受験

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挑戦は不可能を可能にする(18)

炎のチャレンジャーESさん

私が、ESさんに最初に会ったのは、ESさんが高校2年になる直前の2月の終わりでした。彼女は、将来フランス語を活かして、社会に貢献する仕事に就きたいとのことでした。彼女の通っていた高校は、完全なる進学校でしたので、私の所に来たとき既に、受験に対する覚悟はできていました。彼女と話し合った結果、私大は、上智大学外国語学部フランス語学科、国立は、東京外国語大学欧米第二課程フランス語専攻を受験することに決定しました。

2年間、超ど根性クラスに入塾し、炎のごとく全力で走りぬけ、完全合格を果たすことができたのです。超ど根性クラスは、週6日制で、平日は5時から9時まで、土日、休日は朝9時から夜9時までという根性を要するクラスです。しかし、ESさんは更にすごい根性を見せ、「家で勉強するよりも、塾で勉強をした方が、集中できて効率が良いので、休みの日も来させてください!」と週7日、土日、休日は朝7時半から塾に通って来ました。

来る日も来る日も、勝利から逆算した志望校合格のスケジュールをこなしていきました。本気になったことのすごさを感じたのは、塾生のほとんどが風邪をひいた時も、彼女は1日で治してしまうのです。風邪の菌さえも、焼滅させるほどのエネルギーで、勉強をやり続けました。こうして、110ヶ月経った時の12月の最終模試では、偏差値70 (偏差値77)をはるかに超えていたのです。何度も何度も、挫折しそうになった時、合格した時の喜びを話して、激励をしました。その激励を素直に受け止め、見事全ての受験校に合格したのです。

今、彼女は、喜びと希望と情熱を持って、東京外国語大学欧米第二課程フランス語専攻に通っています。先日、ご両親が塾を訪ねてきて、この
2年間でESさんは、あきらめることがなくなったと話していました。受験に合格しただけでなく、人生における大変すばらしい経験をしたと喜んでおられました。受験を通じて、人生の土台を築くことができるのです。

受験生の皆さん、あきらめることなく全力で、志望校合格を目指して頑張ってください。


将来は「今」の積み重ね。悩みながらも一生懸命に 頑張れ!!受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(17)

MNくんは、高校3年生の4月に、ブログに登場したHTくんの紹介で、伸一塾にやってきました。MNくんは、すでに志望大学が決まっており、一橋大学商学部が志望校だったのです。しかし、MNくんの偏差値は40に満たないものでした。私は、本気になって勉強しても合格のためには、最低2年6ヶ月は必要であることを話ました。すなわち、2浪を覚悟しなければ合格できないということです。そのような状況を話したにもかかわらず、それでも一橋大学商学部を受験すると言い張りました。MNくんのご両親とも話し合い、MNくんの希望を実現させるべく戦いを開始することになったのです。

彼は、本当によく勉強をしました。英語、数学、国語は、中学レベルから出発しました。10ヵ月後、MNくんは、専修大学商学部会計学科と日本大学商学部会計学科に合格しました。もちろん、入学はしません。浪人に突入しました。浪人時にMNくんは、1日17時間の勉強を決行し、翌年の2月には、早稲田大学商学部、中央大学商学部会計学科に合格しました。MNくんは、それでも、一橋大学商学部をあきらめずに、勉強を続けたのです。

そしてついに翌年、一橋大学商学部に合格しました。この3年間、英語の長文は、800英文をこなし、数学の問題は、3900問を超え、現代文は、360問を超え、古文の総合問題は、250問を超えていました。また、「詳説日本史B」と「新ひとりで学べる倫理」と「基礎からよくわかる生物ⅠB」をスイッチフルバック方式により、丸ごと一冊暗記してしまいました。彼との3年間の勉強は、努力、努力の連続でしたが、あきらめなければ、夢は実現するということをMNくんに、教えてもらいました。私が教えてきた5300名の生徒の中でも3本指の中に入る努力の人です。こうしてMNくんは、2浪はしましたが、見事一橋大学商学部に合格できたわけです。

困難こそ成長のチャンス!負けじ魂で勝利を勝ち取れ! 頑張れ
!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(16)

徹底した志望校別受験対策の勝利

私が、YMさんと初めて出会ったのは平成18年5月でした。(2008年度受験生)
彼女は、日本女子大学食物学科管理栄養士専攻が第一志望だと言ってきたのです。私は、受験まで1年10ヶ月あることを考慮し、お茶の水女子大学生活科学部食物栄養学科を第一志望とすることを勧めました。こうして、YMさんと私のお茶の水女子大学生活科学部食物栄養学科1年10ヶ月合格作戦の戦いが始まったのです。

最初の頃、YMさんはすぐにお腹が痛くなるのです。勉強に対する姿勢ができていなかったため、勉強に立ち向かうとお腹が痛くなってしまうのです。そして、中学3年生の生徒と同じ内容の英語のテストをする度に、負けるような情況でした。しかし、YMさんは、ESさんのたゆまない激励により、少しずつ受験人間へと変身していったのです。

YMさんは、本年度のセンター試験英語で、192点をはじきだしました(本年度、伸一塾渋谷校は、大学受験生が3名でしたが、英語の3人の点数は192点、190点、186点でした)。中学生にも負けていたYMさんが、センター試験英語で、1年9ヵ月後このような結果を出すことができたのは、最も効率のよい勉強法をとったからです。

私は、お茶の水女子大学生活科学部食物栄養学科合格のための戦略として、センター試験で、85%はじきだし、2次で80%はじきだすことを決めていました。実際は、センター試験で89%をはじきだしたのです。こうしてYMさんは、センター試験を終了した後、大変有利な位置に立っていたのです。

しかし、2次では、もっと有利な立場であることを実感していました。それは、お茶の水女子大学の20年間分の問題を徹底的に分析し、英語、数学、生物の癖を完全に見抜くことができていたからです。英語について言えば、20年間の長文の分析をおこなったところ、必ず出題されるであろう43の癖(出題されるパターン)をみつけだすことができました。また、英作文においても、対比型の問題が出ることが予想されていたため、徹底的に訓練をおこないました。

また、数学では英語以上に癖があり、本番では、小問の1題をのぞき、全問的中させました。生物では、最も出題される範囲が偏っていたため、小問の1題を除いて、これも全問的中させました。こうしてYMさんは、お茶の水女子大生活科学部食物栄養学科に見事合格したのです。

志望校別対策を行なうことは、本来行なう勉強の3分の1程度の勉強で他を追従させないような点数を獲得することができるのです。私は、常々生徒に言っています。努力することさえできれば、受験は戦略が全てだ。このブログを見て、本当に行きたい大学がある受験生は、ぜひ本物の戦略をわたしと一緒にしてみませんか?受験生のみなさんと勉強できることを楽しみにしています。

★★受験生のために尽くす――その生き方こそが、受験生の心に鮮やかに投影され、無言のうちに勝利の種を植えていく。それが、伸一塾の信念です。
伸一塾 高校・大学受験

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挑戦は不可能を可能にする(15)

HTくんと初めてあったのは、彼が、高校2年生の4月の時でした。

彼は、中学1年生の時に交通事故に遭い、約一年間、入院生活を余儀なくされました。また、利き手の右腕の神経を切断したことにより、右腕が完全に動かなくなってしまったのです。彼にとって、右腕が不自由になったことは、想像を絶するような大変なショックだったと思います。右利きであった彼は、それ以後、左手で字を書く練習を、毎日毎日、続けたのです。今まで当たり前のように右手を使い行なっていた日常の動作を、左手で行なう生活は、とても大変な作業だったと思います。退院後は、一つ年下の下級生と一緒に、勉強をしたそうです。

私と出会った時には、左手で字を書けるようになっていましたが、時間がかかり、お世辞にもきれいなものとは言えませんでした。

そんな彼と、真剣に対話を重ね、志望校を早稲田大学に決定しました。これまで、彼が考えていた受験勉強に関する常識のウソを指摘し、早稲田大学突破を目的とした最短コースの勉強法を提示しました。社会は、最もボリュームの少ない、政治・経済を選択しました。こうして、HTくんと私との22ヶ月の戦いが開始されたのです。

彼は、今まで自分に起きた不運を転換してみせるとの意気込みで勉強に打ち込みました。その気迫は、教室の他の生徒にも伝わる激しさがありました。彼は、来る日も来る日も、一切妥協することなくスケジュールをこなしていったのです。

伸一塾に来て、一年半も過ぎた頃、彼の偏差値は、英語72、政治・経済74、国語68という、すばらしい結果を達成していたのです。こうして彼は、早稲田大学 政治経済学部経済学科・法学部・商学部に見事合格しました。彼は、完全に事故のショックから立ち直り、見事志望校に合格しました。

ここまで到達するために、筆舌に尽くしがたい困難を乗り越え、努力をしてきたのです。彼の英語の辞書には、
impossiblegive upを黒のマジックで消してあります。彼は常に、不可能とあきらめは、自分にはないということを言い聞かせていたのです。

人生には暴風雨があり、暗い夜もある。

それを超えれば、苦しみの深かった分だけ、大きな幸福の朝が光るものである。

一番、努力した人が、一番、晴れやかに輝く人である。

運命を価値に転換してほしい。その人が人間としての勝利者である。

頑張れ!! 受験生!! 

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挑戦jは不可能を可能にする(14)

今日は、YHさんのお話をします。
彼女と最初に会ったのは、私の叔母が病院に入院していた時のことです。たまたま、彼女のお母さんが同じ病室にいたのをきっかけに、知り合いとなり、伸一塾に来ることになりました。彼女は、名門高校に通っていましたが、勉強についていけず、いわゆる、落ちこぼれ生徒で、「大学は、入れる所ならどこでもいい」という状態でしたが、妹のHHさんが塾に来ると言い出したのをきっかけに、一緒に入塾することになったのです。

彼女の希望を聞くと、大学で英語を勉強したいということでした。受験まで、19ヶ月で挑戦できる大学を検討し、青山学院大学文学部英米文学科を目指すことになりました。彼女の家は、塾から一駅だったので、平日は、夕方
5時から10時半まで勉強し、休日は、朝9時から夜10時半までの猛烈な勉強を開始しました。2才年下の妹(中学3年生)と英語は同じレベルから勉強を始めたことが、幸いしました。勉強から逃れようとしても、同じ範囲の勉強をしているため、怠ける事も、逃げることもできず、妹と必死の競争が始まったのです。

こうして、二人の姉妹の受験勉強が開始されました。姉のYHさんは、夜に強く、朝に弱い体質でした。一方、妹のHHさんは、朝に強く、夜に弱い体質でした。お互いの弱点を二人で協力することにより、見事に乗り越え、数ヶ月後には、超受験人間に変身していました。来る日も、来る日も、二人のスクラムとなったチームワークで、合格から逆算したスケジュールをやりきっていったのです。

19ヶ月が過ぎ去った時、彼女は栄冠を勝ち取っていました。そうです、青山学院大学文学部英米文学科に合格したのです。この二年後、妹のHHさんは、横浜国立大学教育人間科学部に合格しました。 まさに、姉妹の力で合格を勝ち取ったといえます。友達であれ、姉妹であれ、ライバルは、とても大切だという証明です。このブログをご覧になっている皆さんも、良きライバルを作ってください。


「自分なんかもう駄目だ」と思うような瀬戸際のときはだれにもある。じつは、そのときこそが、自身の新しい可能性を開くチャンスである。人生の勝利と敗北、幸福と不幸、その分かれ目が、ここにある。自分という人間を決めるのは、だれか。自分である。自分という人間をつくるのは、だれか。これも結局は自分以外にいない。
頑張れ!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(13)

今日は、自転車少女、MYさんのお話をします。
彼女と最初に会ったのは、彼女が高校3年生になったばかりの4月でした。彼女が通っていた女子高は、全体的に大学進学に対して、あまり熱心でなかったため、まったく受験の準備はしていませんでした。将来の希望を聞いたところ、バイオテクノロジー勉強をしたいとのことでした。そこで、大学を検討し、その結果、東京農業大学・応用生物科学部・バイオサイエンス学科を受験することに決めました。

早速、過去問15年分を集め、最短距離の勉強スケジュールをたてました。彼女の家は、喜多見にあり、そこから毎日、自転車で私の塾まで、片道50分かけて通ってきたため、塾のみんなから自転車少女Mちゃんと呼ばれていました。

英語は、中学
2年生の過去形から開始し、国語は、中学受験用の教材から開始しました。そんな彼女も生物だけは、いきなり高校のテキストを使ったため、「生物だけは一人前だ!」と喜んでいたのを、今でもよく覚えています。生物のテキストは、「生物ⅠB必修整理ノート」を使用しました。こうして、一日一日真剣な勉強が続いていったのです。彼女にとって、自転車での通塾することが勉強でたまったストレスのよい発散方法だったのです。

夏休みが終了する頃、自転車少女MYさんは、超受験人間に大変身していました。学校で必要でないと思った時間には、よく保健室に行って勉強したことを聞きました。また、体育の時間などは、よく見学をしたそうです。見学している間、必死で暗記していたそうです。ありとあらゆる時間、勉強をしつづけた結果、12月の最後の模試で、ついに偏差値60を突破しました。12月20日頃より、毎朝8時に塾に来て、夜9時まで、しっかり勉強し、試験の前々日までスケジュールを一つ一つ潰していったのです。今まで、受験日記に登場した人たちもそうですが、一つの目標に向かって一生懸命勉強している集団に属すると、1日12時間以上の勉強も、あっという間に、終えることができます。いい集団に属するといい結果が出るのです。こうして、彼女は無事、第一志望であった東京農業大学に合格したのです。彼女は、大学まで自転車で通学しています。大学に入っても自転車少女MYさんは健在です。

    大変なときに、変わらずに頑張れば、あなたは勝利者です。状況が厳しかろうが、人が変わろうが、自分は自分の決めた道を貫く。その人が「人間として」の王者です。頑張れ!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(12)

今日は、前回登場したEFさんについて、お話します。EFさんは、YHさんより遅れること1ヶ月あまりで伸一塾にやって来ました。

彼女は、母子家庭であり、大変経済的に厳しい状況の中、塾に通って来ていました。塾の月謝を工面するため、おじいちゃんが牛乳配達をしていたのです。彼女は、大学に入学し、将来、公務員になりたい希望を持っていました。自分に厳しく、自己管理の上手な子で、毎回おこなわれるミニテストにおいては、全部満点でした。毎月行なわれる月例試験でも、9割を切ったことは一度もありませんでした。彼女は、目的が明確であったことが、一日一日の勉強に対して全力でぶつかることができたのではないかと思います。

また、彼女は、感謝のこころを持つ人でした。友人のYHさんが挫折しそうになった時、いつも一生懸命、激励し、「今こうして、勉強できるのもYHさんのおかげだ」と言っていました。彼女は、太陽の光のように、いつもYHさんに光を送っていたのです。私は、人間同士のまごころで結び合った間柄を見させてもらいました。人生においてもっとも美しく、強く、尊いもの。それが友情であることを実感したのです。勉強を教えている私の方が、彼女から教わることがはるかに多かったと思います。

彼女は、早稲田大学法学部合格後もアルバイトをしながら、専門学校で公務員試験合格のための勉強を続け、国家Ⅰ種に見事合格しました。全力で受験勉強にぶつかっていく、その真摯な行動が勝利へと導いたのです。


青春は悩みの連続である。
もがきながら暗雲をかきわけ太陽に向かっていくのです。
頑張れ
!!受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(11)

YHさんは、ブログに紹介したMHくんのお姉さんです。彼女は、高校の担任の紹介で、伸一塾に来ました。彼女は、学校での成績がとても悪かったので、推薦での進学はできない状態でした。
しかし、そのことが彼女に人生を大きく変えるきっかけとなったのです。幸いにも受験まで22ヶ月あったので、私大でも最難関である早稲田大学を受験することを決めました。

彼女の英語の実力は、中学2年生程度(英検4級合格)の力しかなかったため、中学の英語をはじめからていねいに勉強をしていきました。勉強という習慣が、まったくついていなかったため、一つのレッスンを終了させるのに、何日もかかるという状態でした。そんな時、彼女は学校の友人のEFさんを連れてきたのです。EFさんは、稀にみる努力の人だったのです。EFさんの努力の姿を目の当たりにしたYHさんは、少しずつ受験人間へと変身していきました。

しかし、受験勉強の厳しさから、YHさんは何度も挫折しそうになりました。この時、EFさんは、学校からYHさんの手をひっぱり、しばしば塾まで連れて来ていました。EFさんは、自分に厳しく、他人に優しい人でした。EFさんの絶え間ない激励のおかげで、YHさんは頑張ることができました。苦労を一緒に乗り越えようとする友の温かさを知り、いい友人が一人いれば、人生の喜びは
2倍にも3倍にもなるということをYHさんは、学んだのです。私も、友情は喜びを2倍にも3倍にもし、苦しみや悲しみを2分の1にも、3分の1にもするということを学びました。本当に自分自身が勉強になった22ヶ月でした。

来る日も来る日も、真剣勝負の毎日が続き、3年生の夏を過ぎた頃には、YHさんは、英語の偏差値67、国語の偏差値64、日本史の偏差値76となっていたのです。早稲田大学合格に、あともう一歩の所まで来ていました。

一方、EFさんは、英語の偏差値74、国語の偏差値69、日本史の偏差値73となっており、完全に合格の圏内に入っていました。

こうして受験を迎え、YHさんは早稲田大学商学部に合格し、EFさんは早稲田大学法学部に合格しました。EFさんは、入学後も勉強を続け、国家公務員試験Ⅰ種に見事に合格しました。

目の前が真っ暗になるときもあるでしょう。

しかし、あきらめないで努力しぬいていけば、

どんな困難もみな夢となります。

頑張れ!!受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(10)

SKくんが伸一塾にやってきたのは、8月後半のことです。彼はすでに、大手予備校に授業料を全額納入していました。しかし、1日体験入学で、私の授業をきき、予備校を辞めて伸一塾に来ることになったのです。

三人兄弟の末っ子である彼は、少し、のんびりしている感じがありましたが、二人の姉は、既に志望大学に合格しており、相当のプレッシャーを感じていたようです。受験まで5ヶ月半の猛烈な戦いが開始されたのです。


SKくんは、自転車で塾まで20分ほどの距離に住んでいることもあり、平日は、夕方5時から夜11時まで塾で勉強し、休日は、朝9時から夜11時まで勉強しました。来る日も来る日も、毎日こなすべきスケジュールを1日も欠かさず、達成していきました。彼は、驚く程、成績を伸ばしました。

実は、彼の両親は、一浪を覚悟していましたが、彼は、その予想を見事にくつがえし、合格したのです。以前ブログに紹介したMSくんは、彼の受験に対する姿勢を目の当たりにすることで、あきらめないことの大切さを学んだのです。SKくんは、とても優しい子で、MSくんが挫折しそうになった時、一生懸命激励していました。二人が一緒に勉強した期間は、5ヶ月程度でしたが、このことがきっかけで、MSくんは最後までやり通すことができました。

彼は、「予備校講師・学校の先生からも、君の成績では志望校に合格はできないと言われ、親もあきらめていました。伸一塾に相談に行ったときに、先生だけが‘合格できる’と言ってくれました。その一言で自分の道がひらけ、合格することができました。」と合格後に私に話してくれました。

彼は将来、英語の教師になりたいと言っています。先日、英検準一級に合格し、報告に来ました。あきらめなければ、必ずチャンスは来る!みなさんも、あきらめないで頑張ってください。 

    逆境を恐れては、本当の前進はない。あえて困難に挑み、乗り越えてこそ本物の合格といえる。むしろ、逆境の中で根性を発揮し、敢然と勉強しぬき、勝利してこそ、合格の醍醐味もある。

頑張れ!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(9)

KFくんは、小学校5年生の8月から伸一塾に通って来ました。彼は、ブログに登場したTYくんの従兄弟です。彼は、父親が医師であることをきっかけに、自分も医者になることを決意し、中学受験をすることになったのです。
伸一塾に、来る以前は、大手中学受験専門に行っていました。しかし、まったく成績が伸びないということで、従兄弟のTYくんの母親から私のことを聞き、通うことになったのです。彼は、行きたい中学校がきまっており、それは武蔵中学校でした。こうして、KFくんと私の、1年6ヶ月の挑戦が開始されました。

この学校の特徴は、考えさせる問題が非常に多く、難易度は全国トップレベルです。特に、国語と算数のレベルは群を抜いて高く、この二つの科目の攻略が合格への必須条件なのです。国語は、小学校4年生の『応用自在長文読解の特訓』を使用し、丁寧に丁寧に解いていきました。一問解くたびに、要旨をまとめさせる根気強い作業をしていったのです。

また、算数は徹底的に計算を鍛えるところから始めました。こうして彼は、6年生になる頃には超受験人間に大変身していたのです。受験の楽しみを覚えた彼にとっては、もはや武蔵中学校は敵ではなくなりました。こうして彼は、無事中学受験に成功し、そののち、6年間私の塾に通い、見事徳島大学医学部に合格したのです。彼が、徳島大学を選んだ理由は、センター試験において、国語と理科の配点が高いことが、その理由でした。

彼は、国語と理科がとてつもなく得意だったのです。また、英語は高校2年生の時、準一級に合格した実力の持ち主でした。ここまで見ると、順調に合格したように見えますが、彼にはとてつもない弱点があったのです。それは、アレルギー性鼻炎のため、いつも鼻をかまなければならない状態だったのです。このため、集中力は本当になかった。わたしは、元鍼灸師であるという経験をいかし、彼にアレルギー性鼻炎を改善するツボを教え、塾に来るたび、30本ゴムで縛った爪楊枝で、刺激させました。彼は、徐々によくなり、3ヶ月もたった頃、良くなっていました。このことによって、彼はとても東洋医学に興味を持つようになりました。

また彼のお父さんは、とても優秀な人だったので、彼に対し非常に厳しい状態でした。そのため、大変なプレッシャーをいつも感じていました。しかし、彼は、持ち前のど根性で、そのプレッシャーを見事はねのけました。結局、彼と私は7年半の受験生活を共にしたわけですが、挫折しかけていた状態から、見事蘇生し、医学部に合格したのです。どんなに、困難な道でも歩き続ければ、必ずゴールに到達します。

   挑戦の魂に行き詰まりはない。幸運は、挑戦する人間にこそ微笑む。すべては合格への努力から始まる。努力を開始すれば、知恵が湧く。 
頑張れ
!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(8)

GCさんが伸一塾に最初に来たのは、高校1年の11月でした。
彼女は、医者になりたいと自分の希望を話しましたが、彼女の高校からは、医学部どころか一般の国公立大学さえ、一人も行っていないような状況でした。私は、彼女に、関東圏の国公立大学医学部は極めて高い学力が必要なため、東京から離れ全国どこでも行くという覚悟が必要であると伝えました。

彼女と真剣に話し合った結果、鳥取大学の医学部を第一志望として受験することを決めました。鳥取大学の医学部は、センター試験と2次試験の配点が各800点で、同じ比重であることが特徴です。したがって、センター試験で90%以上を獲得することが第一の目標となります。そして、2次試験における傾向を徹底的に調べ、対策をし、予測をしました。過去問は、入試直前に解いてもあまり意味がありません。志望校が決定したら、すぐに目を通し、頻出分野や問題のレベルをみることが最も重要なことです。過去問は、出題者が「こうゆう問題を出題しますから、対策をしっかりしておいてください。」とわざわざ宣伝してくれているのです。したがって、これを利用しない手はありません。早めにみておいて、勉強の方針を立てるのです。

そして、理科については、どの科目が有利なのか調べ、選択する必要があるのです。要するに、過去問を研究することによって、合格するために必要がないと思われるレベルの問題や形式は、受験勉強かから大胆にカットすることができるのです。これは、極めて重要なポイントです。私は、徹底的に鳥取大学医学部の問題を研究し、最短攻略法を考え出しました。

こうして、2年3ヶ月の戦いが開始されました。彼女は、本当によく努力しました。一日一日を輝いて生活し、逆境も苦難も人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えて行きました。心の窓を大きく開いて、希望の青空を仰いでいきるがごとく、毎日毎日を過ごしていました。私は、科目別学習戦略を達成すれば、絶対に合格することを毎日毎日、言い続けました。そして、2年3ヶ月後、見事、鳥取大学医学部に合格し、学校始まって以来の快挙となりました。今、彼女は医者になるべく鳥取の地で勉強しています。

  負けるな!断じて負けるな!合格が君の目的だ。
そのために努力を!そのために忍耐を!継続しぬくのだ!
希望に生き抜くのだ。強く生き抜くのだ。  頑張れ!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(7)

YHくんは、都立高校を中退した時、わたしの速読教室に来た生徒です。彼は、とても心の優しい子で、他人の面倒をよく見る子でした。そんな彼が、速読を通じて大学受験を開始することになったのは、速読を始めて4ヶ月後のことでした。

大学受験のためには、高校を卒業するか、大検を取る必要があったため、わたしは、以前ブログに登場した、YSくん、HMくんの経験から、通信制の高校へ入学することを勧めました。こうして彼は、通信制の高校へ通いながら大学受験をすることになったのです。

彼には、行きたい大学が存在しており、それは、創価大学だったのです。受験まで、2年2ヶ月あったので、英語は中学1年生の範囲から始め、国語は、小学校4年生の応用自在から始めました。彼は、塾と家との距離が非常に近かったため(一駅)、朝9時から夜10時半までの一日13時間半の勉強に挑戦したのです。彼は、受験勉強というものをこれまでしたことがなく、高校受験の時も勉強しなくても入学できる都立高校を選んだということです。したがって、まったく勉強ができませんでした。

しかし、彼は小学生の時からサッカーをずっと継続してやっており、根性だけは備わっていたのです。彼は、根気よく一つ一つの課題をこなしていき、勉強を開始して1年を経った頃には、英検準2級を突破し、次の英検受験の時には、見事2級を突破しました。また、国語は、現代文の勉強のため、朝日新聞の社説および天声人語の要約を約半年間、行いました。そののち、私の現代文の授業で記号読解を完全にマスターし、現代文が得意科目となったのです。古文については、『標準古文単語650』と『自分でつくる 古典文法サブノート』を完璧に覚えました。そして、『古文読解の新技術』で、問題演習をおこない、『だれでも解ける 古文の公式90』『絶対のグリテン古文』で点数に直結する裏ワザをマスターしていきました。こうして彼は、英語と国語の偏差値が60を超える結果となったのです。

最後に日本史ですが、『はじめる日本史50テーマ』『30日完成・日本史問題集』を使用し、最初から解答に赤の水性ペンで答えを記入し、完全に記憶できるまで勉強しました。その後、『過去問10年分』を記憶しました。そして、『詳説日本史B』を、二冊用意しました。一冊は、通読用の本として、もう一冊は、問題集として使用しました。最後に、『金谷の日本史頻出問題解法』『日本史そのまま出るパターン 一問一答』『受験生が本当にほしかった問題集 日本近現代史』を完全に記憶しました。

こうして彼は、2年2ヶ月の間に超受験人間として変身し、見事、創価大学法学部に合格したのです。人間は、しっかりした目標があれば、困難を乗り越えることができるのです。高校を中退した人や、高校に行っていない人でも、高校生と同じように十分チャンスはあります。このブログを読んで、大学受験に絶望を感じている人がいたら、ぜひ私を訪ねてください。

       わたしは負けない。
合格とは、まず負けないことだ。
 
頑張れ
!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(6)

HMくんは、以前、挑戦は不可能を可能にする(4)で御紹介したYSくんが、私の塾に連れてきた子です。HMくんとYSくんは、通信制の高校で同級生だったことをきっかけに、友達となり、私が主催する速読教室に来ることになったのです。

HMくんは、16年間の人生で本を2冊しか読んでないと言っていました。しかし、そのことが却って幸いしたのです。HMくんは、本を読むときの自分なりのクセというものを全く持っていなかったのです。そのことは、真っ白なキャンパスに、私に言われた読書のメソッドをそのまま書き写すことができました。HMくんは、2ヶ月足らずで、最初の読書スピードの30倍を越えていました。そして、レッスン30を終了する頃には、120倍の読書スピードを身につけていました。

HMくんは、とび職の仕事をしており、そのことをきっかけに庭作りに、とても興味を持っていました。ある時、HMくんから「自分も庭造りを勉強できる大学に進学したい」と相談を受けました。早速、造園科がある大学を調べ、東京農業大学の造園科学科に目標を設定し、勉強することになりました。HMくんの英語・国語・生物の学力は、ほぼゼロに近いものでした。

受験日まで、残り
1年3ヶ月しかありません。HMくんと私の猛烈な戦いが開始されたのです。英語は、中学1年の1番最初の内容から勉強を開始しました。中学1年から中学3年までの英語を、5ヶ月で終了させました。中学の内容として勉強したものは、『学研 ニューコース中1・中2・中3英語』『中学英単語1800』『中学英作文108』『中学英熟語350』『でる順英語構文99』を完全に理解し記憶するまで勉強しました。

国語は、確実に点が稼ぐことができる国語総合に全力を傾け、国語表現
(現代文)は小学校4年生の応用自在から勉強を始めていきました。

生物は、『ゼミノート 生物ⅠB』『生物ⅠB合格48講』『生物Ⅱ合格24講』『田部式問題集』『大森の計算グラフ問題の解法』を完全に理解し記憶するまで勉強しました。来る日も来る日も、
1日12時間の勉強に耐えぬきました。こうして血のにじむような努力を13ヶ月耐えた結果、見事、東京農業大学に合格することができたのです。

本年、HMくんは大学を卒業し、卒業と同時にとびの棟梁のお孫さんと婚約しました。人生は、実に面白いもので、婚約した彼女が、HMくんに大学に行くことを勧めたのが全ての転機の始まりだったのです。人生は、前向きの人間には前向きの結果を出します。このブログをご覧のみなさんも、希望を持って前向きに受験勉強を続けてください。


   合格するまでには、いろいろなことが起こる。最も大切なことは、何があっても負けないこと。努力し続けること。希望を失わないことである。
頑張れ
!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(5)

MTさんが、伸一塾に来たのは、受験の6ヵ月半前です。彼女は、初級公務員を受験することを決めていたため、受験勉強はまったくしていない状態からのスタートでした。しかし、そんな不利な状況を見事にくつがえし、専修大学法学部に合格したのです。

英語・国語・社会の戦略的な勉強を開始しました。それは、合格最低点と受験日までの日数から割り出した戦略です。合格最低点は、190点でした。190点のうち80点を日本史で確保し、古文で25点、国語常識で20点、現代文で20点、英語50点を目標として掲げました。

日東駒専の特徴として、英語は、本格的な長文問題が少なく、難しい単語がキーワードにならない。実は日東駒専の場合、長文の全体の意味があまりわからなくても解ける問題が、少なくないのです。また、語彙・文法問題が多く、英作文が出ない(ただし、整序英作文は出題される)。

このことは、短期間に50点を獲得することができるということです。私は、専修大学法学部の長文型問題の解き方を伝授し、長文問題で30点を確保できる力をつけさせました。また、語彙・文法は、『必出短大入試英語スーパーダブルチェック』『中学英単語1800』『高校入試でる順 中学英熟語350』『合格英単語600』『合格英熟語300』を完全にマスターするまでやりました。ここで重要なことは、単語のスペルを覚える必要はありません。つまり、スペルは捨ててかまわないのです。スペルを正確に覚える時間があったら、一つでも単語の意味を、多く暗記してください。この時点で、本学の問題で、英語に関しては50点を確実に超えるようになりました。


次に、古文ですが、専修大学法学部で必要な古文単語は、おおよそ300程度です。『ゴロで覚える古文単語記憶術』を完全暗記させ、『古文入門合格のおきて』をつぶしました。そして、『荻野文子の「古文」に強くなる実況放送(上・下)』を仕上げに使ったのです。この時点で、古文に関しては、本学の問題で、ほぼ90%を獲得できるようになりました。

国語常識は、漢字の問題集を1冊、『ゴロで覚える文学史』『マドンナ古文常識217』を使用しました。現代文は、評論文一点集中で攻略しました。現代文講義(基礎・初級・中級)をマスターしていきました。

最後に、日本史は、『詳説 日本史B』を、まず二冊用意しました。一冊は、通読用の本として、もう一冊は、問題集として使用します。使用方法については、受験ブログを見てください。6ヶ月で、この本をほぼ全て暗記しました。この時点で、日本史に関しては、本学の問題で、90%を獲得するにいたっていました。

これだけの勉強を6ヶ月半でやり終えたわけですが、偏差値40未満であった彼女が、見事に合格したのは、科目別の勉強範囲を決め、おこなった結果です。本番の試験では、200点を超えていました。日東駒専は、7ヶ月間、全てをかけて勉強すれば、偏差値40からでも合格できます。それを彼女が教えてくれました。

合格の後、彼女は、4年間勉強をやりつづけ、昨年ドイツに留学しました。人間は、遅いということはないのです。まったく受験勉強していない彼女が、8月から始め、6ヶ月半で見事に合格したのは、あきらめず、言われたことを忠実におこなった結果です。

   困難は、逃げれば逃げるほど追いかけてくる。
  だから立ち向かうしかない。

  
頑張れ!!受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(4)

YSくんと最初に会ったのは、彼がけんかをして、道端でケガをしている時でした。私は彼を担いで、近くの病院に運んだのです。

これをきっかけに、彼と友達となり、私の速読の教室に通うことになったのです。彼は、9ヶ月間の速読教室を卒業し、塾で、勉強をすることになりました。彼は、高校に行っていないため、大学受験するためには、高校卒業か、大検の資格がいることになります。彼と話し合い、通信制の高校に通いながら、大学受験の勉強をすることになりました。

彼の生活は見違えるほど、変わりました。朝
9時より、夕方4時まで、塾で勉強し、5時から11時まで、居酒屋でバイトを始めました。高校を卒業する頃、彼の偏差値は、65を突破するまでになっていました。その年、21歳で中央大学の法学部に見事合格しました。彼は、今、以前とは比べものにならないほど、素晴らしい人生を送っています。彼は、時々、私をバイクに乗せて、いろいろな所に案内してくれます。その時、彼はよく言います。「自分が変われば、人生は180度、変わるんですね。」と・・・。

人生は、自由自在に変えることができます。受験勉強ができないために、悩んでいるたくさんの皆さん、あきらめないでください。そして、安易な合格方法に決してだまされないでください。一流大学に合格することは、簡単ではありません。しかし、一生懸命がんばれば、YSくんのように、道をひらくことができるのです。

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挑戦は不可能を可能にする(3)

TYくんと私が出会ったのは、彼が中学校2年生の6月の時です。彼は、小学校5年生の時、遠足で川越に行くことになり、電車を降りることができず、その途中でウンチをもらしてしまい、それからいじめられっ子になりました。

彼の父親と友人だった私は、最初に中学校を転校させる手続きをとりました。そして、彼をしばらくの間(
7ヶ月)私の家であずかることになったのです。同時に、もう一人、MHくんもあずかることになりました。二人の成績は、悲惨なもので、TYくんが学年で後ろから2番目、MHくんがクラスで最下位の状態でした。私は、二人と共に猛烈な戦いを開始しました。最初に、小学校4年生の段階までさかのぼり勉強を始めました。

朝、4時半起床、5時から645分まで勉強。夕方は、5時から夜10時までの勉強をおこない、日曜・祭日は、朝5時から夜10時までの勉強を行ないました。この結果、TYくんは、都立西高校に合格し、MHくんは、都立小石川高校に合格したのです。

そして、高校合格と同時に、大学受験の勉強を開始しました。二人は、良きライバルとなり、どんどん成績を伸ばし、TYくんは、東京大学文科Ⅱ類に合格し、MHくんは、一橋大学社会学部に合格しました。

彼らが、最初に勉強を始めた頃、本当によく泣いていました。私は、彼らにここで敗れれば、一生負け犬で終わることをしつこいくらい言い続けました。そして、ここで勝てば、今までのみじめな生活から脱出できることをしつこいくらい話しました。また、勝利することの喜びを毎日彼らの心にインプットしていきました。人間は、思ったことは必ず実現できます。実現できないことは思わないのです。

もし、みなさんが東京大学に行きたいと思ったら、それは行けるということです。問題は、東京大学に合格するまでのプロセスをどうするかということです。この日記を見て、本気になって受験したいと思っている人は、私をたずねてください。安易な方法によって、合格しようと思ってはいけません。簡単に合格できるように思ってはいけません。希望の明日を迎えるためには、一生懸命が必要なのです。

      一生懸命勉強する人には、誰もかなわない。一生懸命勉強する中には、成功が含まれ勝利が含まれている。そこから、勇気も知恵も勢いもわいてくる。 頑張れ!! 受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(2)

STさんが、最初に私の塾を訪れたのが、平成17年1月27日のことです。彼女は、難関高校受験を目指していました。私の塾に訪れた時、すでに予備校・塾・家庭教師を合わせ、月に26万円の月謝を支払っていました。私の塾には、国語を習いに来たわけですが、勉強の質と戦略の違いを目の当たりにして、3月より予備校・塾・家庭教師を全てやめ、伸一塾一本にしました。志望校合格には、何をどれだけやれば勝利するのかが、どんなに大切か知ったのです。そして、伸びる学習法とは、どのようなものかを初めて実感したようです。

彼女の偏差値は、入塾当初40に満たなかったのですが、12月の駿台予備学校の模試において、偏差値80を突破し、全国でベスト10入りしました。わずか11ヶ月で、偏差値40以上伸ばした秘訣は、いったい何だったのでしょうか?

第一に、彼女は、とてつもない負けず嫌いでした。彼女と同じ高校を目指していた、KNさんの存在が非常に大きかったということです。KNさんの偏差値は、すでに60を少し上回っており、彼女とは、比べものにならないくらい優秀な人でした。負けず嫌いの彼女は、どんな努力をも耐え抜くことを誓い、勝利への戦略を11日確実にやりきっていったのです。英検準2級を7月に突破し、11月に英検2級に合格しました。数学も国語も、どんどん成績を伸ばしていき、ついに12月の模試において、KNさんを抜きました。勉強において、ライバルの存在がどんなに大切であるかの、良い例であると思います。

第二に、言われたことを忠実に行なうことができる素直さを持っていたということです。そして、ライバルと素直さを身につけた彼女は、見事に難関高校に合格しました。合格した後、二人が互いのことを、「彼女がいてくれなければ、合格しなかったと思う」と話してくれました。このブログを見ている受験生のみなさん、ライバルを作り、一緒に励んでいくことの大切さを知ってください。受験は、「これ以上無理だ」とあきらめる自分、「もうこれくらいでいいだろう」と妥協しそうになる自分との戦いです。「断じてあきらめない」「断じて負けない」と、自己との闘争に勝ちゆくことです。頑張れ
!!受験生!!

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挑戦は不可能を可能にする(1)

MS君が、最初に私の塾を訪れたのが、平成16年9月3日のことです。彼は、小学校・中学校9年間の義務教育をまったく受けていません。高校も定時制の工業高校で、試験を受けずに入学できる所だったそうです。彼のお母さんが、私と一緒の武道の道場に来ていたことをきっかけに知り合いました。

彼に最初に会ったとき、将来、弁護士になりたいと私に話し、ぜひとも大学は、東京大学を受験したいと自分の夢を話してくれました。私は、分数・小数の概念すら知らない彼に、残り1年6ヶ月で東京大学合格を果たすことが困難であることを説明し、私大受験をすることをすすめました。次の日より、彼と私の猛烈な戦いが開始されました。彼は、漢字を書く時、書き順を知らないため、下から書く癖がついていました。また、アルファベットも一部しか知らない状態でした。

最初に彼に、ゼロから始めて1年6ヶ月で合格する大学について話、日東駒専のいずれかの大学を決めさせました。大学が決まれば、戦略を立て、1日1日の計画を出し、ただひたすら試験前日までその計画を潰していくことになります。ここで重要なのは、最初に志望校を決めるということです。自分の行くべき航路がわかっていなければ、どこへ行くのかわからないということです。すなわち、最初に志望校を決めることによって、到着すべき地点がきちっとわかり、明確な戦略を立てることができるということです。このことによって、すでに受験の半分は終了しています。

彼は、私の作った戦略を根気強く毎日こなしていきました。翌年、6月に英検2級の1次を突破しました。わずか10ヶ月で、高校終了程度の英語を身につけたことになります。人間は、やれば必ずできるという証明だと私は、確信しました。ただ、ここで重要なのは、彼の素直で、とてつもない根性があったということです。過去のつらかった沢山の経験も、必ず人生においては役に立ち、花が開きます。彼は、平成18年2月、見事戦略を全てやりきり大学受験に合格しました。

合格した後も、塾に通い、小学校3年生からの算数を始め、中学3年生までの数学を終了させて塾を卒業しました。今、彼は、東京大学法科大学院受験を目指し、猛烈に勉強しています。大学は、東京大学ではなかったけれども、大学院は、東京大学へ行くという目標をたて、戦略にのっとった勉強をしています。彼のお母さんは、家族が本当に明るくなったと話していました。人生にあきらめという文字はありません。必ず、思いは叶います。

頑張れ!!受験生!!

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